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追悼まとめ 大橋巨泉

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小倉智明だからこそ語れる大橋巨泉の秘話 - YouTube

大橋巨泉さんがお亡くなりになりました 昭和の名司会者ですね

 

印象に残った番組はということで1位 50パーセント クイズダービー 2位はほぼ二つで どちらも17-19パーセント 11PMと世界丸ごとハウマッチ

 

1位はロート製薬提供の印象深い番組で回答者に漫画家のはらたいらさんとか篠沢教授とかがレギュラーで とにかく巨泉さんをおいてほかにはないでしょう

 

ほぼ半数を占めているというその印象は彼の中でも一番の仕事だったとおもいます

 

11PMは私の世代では印象になく 後任の司会者 高荷儀一さんなのでなんとも しかし深夜の番組のなかでも一世を風靡した感のある番組ですから 巨泉さんにしかできなかったのでしょう わけもなくお色気入浴やらぽろりやらあるときもないときもあってハラハラさせられましたw

 

世界まるごとHOWマッチは その外国の通貨単位で回答していくという モノの値段の近似値を当てるクイズ 私は小学生2年生のときよく見ていたので そういうことを考えるとクイズ番組は巨泉さんの番組で育ったといっても過言ではないですね クイズダービーと世界まるごとは私のクイズスピリッツを高めてくれました。。。なんら成果だしてないですが、、、

 

とにかく引退してもたまにブラウン管に映し出される姿を見ると昭和を感じさせますし 大物感たっぷりで キライになれないですよねこの人 えらそうに人を呼び捨てにするけど その声のやさしくも太い声 それでいてかろやかにも軽快に印象に残る声 うーんもう聞けないなんてなんだかさみしいですね

 

まだ元気だったら都知事選にでてもらって笑わせてくれてもよかったんですけどね

なんてw

 

 

巨泉さん、安楽死求めたことも…小倉氏が明かす

 キャスターの小倉智昭氏(69)が20日、フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」に生出演し、12日に亡くなった大橋巨泉さん(享年82)について「巨泉さんがいなければ、今のぼくはいなかった」と大恩人の死を悼んだ。11年にわたり、がんと闘い、放射線治療や抗がん剤治療の副作用で苦しんだ晩年。「生きててもしょうがない」と安楽死を希望するような言葉を口にしたこともあったことが明かされた。

 小倉氏は15日に巨泉さんの訃報に触れ、18日に近親者のみで営まれた通夜に参列。「まるで別人になった巨泉さんに会って、今までありがとう、って言ってきました。(かつては)80キロあったんだけど、しぼんじゃいました。最後に体重測ったときは48キロって言ってたけど、もっと少なかったんじゃないかな…」とふっくらとした体型がトレードマークだった巨泉さんのかつての面影もないほど、痩せ衰えてしまっていたことを寂しそうに明かした。

 巨泉さんは05年に早期の胃がんが見つかり、手術。13年にはステージ4の中咽頭がんが発覚し、摘出手術。14年12月にリンパ節への転移が見つかり、放射線治療。15年に肺がん手術を受け、右肺の3分の1を摘出した。同年秋には腸閉そくで入院。次第に体力が奪われ、やつれが目立ちつようになった。

 今年2月には左鼻腔内(鼻の中)にがんが見つかったが、手術ができない状態で、放射線抗がん剤投与の治療を受けた。4月5日に退院し、在宅介護に切り替えたが、体調が鎮痛剤の投与を境に体調が悪化。4月11日に緊急入院し、5月下旬に集中治療室に。6月に鼻腔内に新たながんが見つかるなど、最期まで病と闘い続けた。

 最後の放射線治療と抗がん剤治療の副作用は「相当きつかったみたいですね。ぼくらにはきつい、とは言わなかったけど、奥さんとか弟さんには『きつい』って言ってたみたい」と小倉氏。大好きなゴルフも、ワインも飲めず、原稿も書けなくなった巨泉さんは「生きててもしょうがないなぁ」と気弱になったという。弟が「日本には安楽死ってのはないんだよ」と声をかけると、「そうか」と寂しそうに返したという。

 小倉氏と巨泉さんの出逢いは40年前。「一緒に競馬の仕事(番組)をやらないかと」と突然声をかけられたことだった。それがきっかけとなり、小倉氏は巨泉さんの個人事務所に初めて入ったタレントとなった。師であり、大恩人だった巨泉さんとの尽きない思い出を語り、「巨泉さんがいなかったら今の僕にはなってなかった。僕の人生の分岐点には巨泉さんがいた」と悼んだ。

 

小倉さんが巨泉さんの事務所1号だったなんて しらなかったですね

 

 

大橋巨泉さんが司会を務めた人気番組「世界まるごとHOWマッチ」や「ギミア・ぶれいく」にレギュラー出演し、美術鑑賞などを含めて公私ともに親交があった俳優・石坂浩二(75)が20日、追悼コメントを寄せた。出演者にニックネームをつけるのが得意だった巨泉さんは、「HOWマッチ」で石坂に本名の「武藤兵吉」に由来するあだ名「兵(へい)ちゃん」をつけ、名コンビを見せた

 大橋巨泉さん

 誠に言葉がないというのでしょうか、無念の想いで一杯です。ヨーロッパの美術館めぐりをもう一度と仰っていただいていたのに、遂に行かれなくなってしまいました。

 沢山の巨泉さんの姿と言葉が頭の中を巡っています。これからも忘れず、思い起こしては自分の励みにしていきたいと思うのです。

 沢山のことを教わり、学ばせていただきました。ありがとうございました。

 どうぞ安らかに、お休みください。

        平成二十八年七月二十日  石坂浩二

 

徹子の部屋で緊急追悼 巨泉さんと永さんの2ショット披露

大橋巨泉さん最後のテレビ出演となった「徹子の部屋」。左は永六輔さん=2月4日放送(C)テレビ朝日
大橋巨泉さん最後のテレビ出演となった「徹子の部屋」。左は永六輔さん=2月4日放送(C)テレビ朝日
 
 
永六輔さんとそろい踏みで逝かれたのですね。。。
 

チャック・ウィルソン 巨泉さん追悼「大きな喧嘩しましたが」

 タレントの大橋巨泉さん(享年82)が12日に亡くなったことを受け、巨泉さんが司会を務めた人気番組MBS・TBS系「世界まるごとHOWマッチ」(1983年~)にレギュラー解答者として出演していた外国人タレントで、スポーツインストラクターのチャック・ウィルソン(69)が追悼コメントを寄せた。

 柔道6段、パワーリフティングで輝かしい記録保持者であるチャックは、ごつい体格に似合わず、安い金額ばかりを提示。巨泉さんからは「ケチャック」(ケチなチャックの意味)と呼ばれ、人気者となった。たまに高い金額で解答すると、「もうケチャックとは言わせない」と茶化されるほどだった。巨泉さんとのやりとりは番組名物となった。

 チャックは「6年ほど番組で共演させて頂きました」と振り返り、「昔話ですが、大きな喧嘩をしたこともありましたが、外国人の僕がタレントとして仕事ができたのは巨泉さんのおかげだと感謝しているし尊敬しています」と外国人タレントとしての自分を育ててくれた巨泉さんに感謝。

 その中でも「大きな喧嘩をしたこともありましたが」と巨泉さんらしい、チャックらしいエピソードも明かした。

 演出家として、出演者として戦後のテレビ界で圧倒的な存在感と発言力を持った“テレビのプロ”巨泉さん。チャックは「戦後の芸能界の柱だったと思います。お悔やみ申し上げます」と追悼した。

 チャックは70年、同志社大学に柔道留学したことがきっかけで日本へ。78年に日本にエアロビクスを紹介した人物として知られ、公式サイトによると、柔道で全米オリンピック候補選手に選ばれたことも。82年には関東相撲大会敢闘賞を受賞。90年には全日本パワーリフティング大会110キロ級で優勝した。日本のフィットネス業界で40年以上活躍している。

 巨泉さんは出演者にニックネームをつけるのが得意で、「クイズダービー」の出演者だった竹下景子に「三択の女王」、黒鉄ヒロシさんに「裏切りたぬき」、はらたいらさんに「宇宙人」と名付けた。竹下は「(巨泉さんに)与えられたキャラクターを皆楽しく懸命につとめました」と振り返っている。

 

チャックウィルソン・・・つるっぱげとるやん・・・ コレと交互ででてたケントギルバートはヅラつけてがんばってるぞw本人はばれてなとおもってるようやけどねw

 

タレントの大橋巨泉さんが亡くなったことを受け、妻の寿々子さんが20日、「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげてください」「永六輔さんの訃報は伝えませんでした」などとするコメントを発表した。放送作家でタレントの永六輔さんの訃報(7月7日死去)が伝わったのは11日。大橋さんが息を引き取ったのは、その翌日の12日だった。永さんが83歳、大橋さんは82歳だった。寿々子さんのコメント全文は次の通り。

 この度は夫・大橋巨泉の逝去に当たり何かとご配慮をいただき、誠にありがとうございました。本来は、私がインタビューをお受けするべきかとは存じますが、結婚以来47年、どこに行くのも、何をするのも一緒でという生活を重ねてきたのでいまだに心落ち着かず、皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まりお話しできなくなります。そこで失礼なことは重々承知しているのですが、このコメントをインタビューに代えさせていただきたくお願いいたします。

 「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげてください」

 皆様方もよくご存じのように、夫は自他共に許す“わがまま”といわれ、痛いことや辛いこと、待つこと、自分の意に染まないことは“避けて通る”という我儘でした。

 そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月の在宅介護の鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の闘病生活を勇敢に戦ってきました。特に4月からの3カ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました。

 先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」とうかがいました。もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与がなければと許せない気持ちです。

 病状ですが、5月までは希望を持っていましたが、6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が長くなりました。それでも娘や孫たちの見舞いを受けるとニッコリと笑顔を見せていました。その頃には会話をする気力もなく、頷いたり、手を強く握ったり、目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました。

 そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。

 多分、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います。

 それから永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて伝えませんでした。

 素晴らしい看護スタッフに恵まれて、本人ともども心から感謝をしています。

 そして何度も電話や手紙で励ましてくださいました多くのファンの方やご友人と、優しい大橋家の家族たちには改めてお礼を申し上げます。

 最後に孫の言葉を添えさせていただきます。

 「ジージ、これからはただでどこへでも飛んでいけるね! ニュージーランドでもカナダでも、でもバーバの側にもいないとだめだよ!」

 2016年7月20日

 大橋寿々子