genbusyoのブログ 

気にになるニュースを鋭く ブったぎります はてな?とおもった方は必見 お気に入り ブックマーク スター付与など かたじけなく賜ります

日本に10億円寄付した台湾経済界の風雲児を偲ぶ

 今年1月、東日本大震災の際に、個人で10億円を寄付してくれたエバーグリーングループ総裁の張栄発氏が亡くなった。張氏のように日本を「特別視」する「日本語世代」は年々少なくなっている─。

* * *

 2016年1月20日、台湾のエバーグリーン(長栄)グループ総裁の張栄発氏が他界した。享年88歳。

 氏は東日本大震災の際、義援金として個人で10億円を寄付し、グループ傘下の企業には各種救援物資を提供するように指示。さらに、被災地までの輸送と搬送を無料で行うようにと命じた人物である。

東日本大震災当日総裁室でひとり涙を流す

 張氏は日本統治時代の1927年(昭和2年)10月6日、台湾北東部に位置する漁業都市・蘇澳で生を受けている。その後、台湾北部最大の港湾都市として君臨していた基隆に移り、15年間の船員生活を経験した。

 その後、一隻の中古貨物船を購入して起業。68年には長栄海運(エバーグリーン・マリン)を設立した。ここで持ち前の経営手腕と不断の努力で同社を発展に導き、89年にはエバー航空を設立。その後もホテル事業や保険事業など、幅広く事業を展開した。

 同時に社会貢献や文化事業、教育事業にも強い関心をもち、08年には子供から老人まで読める倫理雑誌『道徳月刊』を発行。学校や各種施設で無料配布している。

 11年、東日本大震災の状況は台湾でも大きく報道されたが、震災当日、総裁室でひとり、テレビから流れる被災地の映像を前にして、張氏は涙を流していたという。

 生前、張氏と親しかった全日本空輸の池本好伸元台北支店長は「自らを育てあげた日本はいつの時代も張氏にとって特別な存在だった。情に厚いことで知られた人物なだけに、惨状を知って、誰よりも心を痛めたのではないか」と語る。

「日本語世代」の日課は「のど自慢」と大相撲観戦

 張氏は翌朝、10億円を被災地に送ることを決めた。直後に張氏を取材した読売新聞元台北支局長の源一秀記者は「足りなければいつでも出すつもりだから、遠慮なく教えてほしい」と言われたという。

 張氏はかつて三陸地方を訪ねたことがあり、純朴で実直な人々の姿を目にしたことがあった。その人々が今、悲劇の渦に呑み込まれていると知り、いてもたってもいられなかったのだろう。なお、この10億円は全額、張氏のポケットマネーである。

 台湾には「日本語世代」と呼ばれる人々がいる。日本統治下の台湾に生まれ、成長した人々で、いずれも70代後半以上の高齢者である。現在も日本語を常用し、日本から取り寄せた雑誌を愛読する。

 同世代の仲間との雑談はすべて日本語で行い、時には熱い議論を交わす。書棚には年季の入った国語辞典が並び、NHKの「のど自慢」や大相撲を見るのが日課だという人も少なくない。

 周知のように、台湾は1895年(明治28年)から終戦までの半世紀、日本による統治を受けた。日本は台湾を新領土ととらえ、各種制度を整え、産業インフラの整備を進めた。

 特に教育を重視し、各地に学校を設けた。日本語世代は等しくこの時代に生まれ、日本人として育てられた人々である。もちろん、張氏もそのうちのひとりである。

 戦後、日本人が去った台湾にやってきたのは中華民国だった。蒋介石率いる国民党政府が新しい統治者として君臨し、征服者として振る舞った。

 しかも、毛沢東率いる共産党との内戦に敗れた後は国体そのものを台湾に移してきたため、日本語世代には数多くの葛藤が生まれた。

 国民党政府は言論統制を敷き、様々なかたちで弾圧を加えた。人々は言論の自由を奪われ、郷土文化の研究はもちろん、郷土意識を抱くことすら禁止された。日本語はもちろんのこと、台湾の土着言語も公の場では禁止され、政府が持ち込んだ北京語が強要された。

 

複雑な経緯を経て形成された台湾の親日的気質

 この時代、国民党政府は台湾に残った日本の影響力を払拭するべく、「排日政策」を採った。体制に都合のいい独善的な教育が行われ、被統治者となった台湾の住民は閉ざされた現実を強いられるが、ここで人々は戦前の日本と戦後の中華民国という2つの外来政権を冷静かつ客観的な目線で比較するようになった。

 親日的な気質で語られることの多い台湾だが、それは単純な心情ではなく、こういった歴史的経緯を経て導かれたものであることを忘れてはならないだろう。台湾では世代を問わず、日本への評価を耳にするが、その背景にはこういった事情がある。

 言い換えれば、日本統治時代に生まれ育った人々は例外なく、体制の顔色をうかがい、そして一方で戦前に培われた精神を秘めながら、人生を歩んできた。自由のない環境の中で、自らが幼少期や青年期に培ってきたものを静かに見つめ、日本との繋がりを保ってきたのである。

 「張氏は日本人以上に日本人的だった」と池本氏は語る。張氏は生前、自分の原点は日本にあると公言し、自身の気概は日本時代に培われたものであると語っていたという。

 同時に、常に自らを律して謙虚さを失わない性格や、恩義に厚く、一度でも世話になった人には決して感謝の気持ちを忘れないという性格、そして何より、誰よりも勉強熱心だったという点も、日本人的な気質だと台湾では言われている。エバー航空を設立する際には日本で航空業界についての書籍を大量に買い込み、寝食を忘れて研究に没頭したというエピソードも残る。

 台湾には「為善不欲人知」という言葉がある。「本当の善行は人に知られない」という意味である。張氏は生前、自らの力をひけらかすことはなく、義援金についても、自ら触れまわるようなことは一切なかったという。

 こういった観念は日本人が持ち込んだもので、これが台湾人生来の勤勉実直な精神性と合致し、浸透したとも言える。戦後に入り込んできた中国的価値観によって台湾の社会は変容を強いられたが、戦後生まれの世代にもこういった精神性は受け継がれている。

 勤勉な気質や相互扶助の精神、自然体を貫く人生観など、台湾人の民族性というべきものの中に、日本が遺していったものが垣間見られることは少なくない。

 

新政権発足とともに日台関係も次世代へ

 今年5月20日、蔡英文総統率いる新政権が誕生した。1月16日の総統選挙で若者たちの圧倒的な支持を得て政権奪還を遂げたのは記憶に新しい。中国は選挙前から様々な形で牽制を仕掛け、特に中国人観光客が対前年比で3割減という状況は観光業者を中心に、大きな影響が出てきている。

 しかし、こういった動きの中、台湾では今後を危惧する声とともに、いかにして台湾が尊厳を守り、国際社会に食い込んでいくかという議論も盛んになっている。当然ながら、隣国である日本とのかかわりも深い。

 これまで日台の絆を紡いできた日本語世代が数を減らしていく中、学生が自主的に勉強会を催したり、古老を囲んで往年の話を聞く会を開いたりするなど台湾の若者たちの間では先輩たちから何を学び、受け継いでいくかを真剣に考える動きが活発化している。

 日本語世代が温めてきた「台湾人として生きる強い意志」とは何か。それを肌で感じ、探求しようとする若者たちのまなざしは熱い。台湾の地に生きる「誇り」は今後、どのように発展していくのか。日本とも決して無縁ではない新しい台湾人の存在は興味の尽きないところである。

片倉佳史 (台湾在住作家)

 

 

こんなすばらしい方がいらっしゃったのですね おかねを稼ぐことにあくせく日々走り回る生活の中ではこうも 人助けをする機会はないのでしょうけども いざというときに 他国であっても近くの隣人と 涙を流して お金を送ってもらえる そんなありがたい人はなかなかないですよね 張栄発氏 もうすでに亡くなられてから半年以上が経っていますが ご冥福をお祈りいたします