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一度は売国奴と蔑まれた日本シンクロ界建て直しの指導者

入賞に終わった2012年のロンドン五輪から一転、デュエット・チーム共に銅メダルと、リオ五輪での女子シンクロナイズドスイミングは大健闘を見せてくれた。その陰には、14年に日本代表コーチに復帰した、井村雅代コーチ(66)の存在がある。

 自身もシンクロ選手として活躍した井村氏は、84年のロス五輪から04年のアテネ五輪まで日本代表コーチを務め、6大会連続メダル獲得の快挙を成し遂げた。が、その後、シンクロ中国代表の監督に就任したことで、“売国奴”“裏切り者”との批判にさらされることとなった。

 フリーライター・松井久子氏の聞き書きによる『シンクロの鬼と呼ばれて』(新潮文庫)は、井村氏が日本水泳界を離れた経緯、そしてロンドン五輪で中国代表をメダルへと導いた指導法など、リオへとつながる“名将”井村コーチの足跡を明らかにする一冊だ。この中で井村氏は、ふたたび日本代表コーチに就任した、その心情についても語っている。

■“リオに出して貰えたら十分”

 中国代表コーチを退任後、短期でイギリス代表のヘッドコーチを務めていた井村氏。日本水泳連盟から代表コーチのオファーがあったのは、2013年のこの頃だった。

 日本水泳界を去り、中国に渡った井村氏と水泳連盟の間には、当時“しこり”があったという。そんな状況での打診について、

「吃驚(びっくり)しましたよ」

 と井村氏は率直な感想を口にする。※「」は本文より引用

北京五輪が終わったとき、『年寄りの力を利用しなさい』とあれだけ言ったのに、『心配しなくて大丈夫。これからは若い選手とコーチで、日本を成長させます』と言っていた水泳連盟から、そんな誘いがあるなんて、思いもしませんでしたから」

 本著の聞き手である松井氏でなくても、「抵抗はなかったのだろうか」との疑問は浮かぶことだろう。さらに当時の日本シンクロは低迷しており、リオ五輪へのチーム出場すら危ぶまれている状況だった。井村氏に声をかけた連盟も、「リオに出して貰えたら、それで十分です」と消極的だった。

 

こんな状況でも井村氏は、

「受けるか受けないかは、私に選手を強くしたい気持ちがあるかどうか、それだけだと思って、嫌なことは考えないことにしたんです。世の中って、そんなものだと思ってね」

 とオファーを受諾。教える以外のことには興味がない、という。

「選手と私との関係って運命的なめぐり合いじゃないですか。乾友紀子なんか、私のクラブに移籍してきてからも、ぜんぜん縁がなかった。

 中学までは私が教えたから、基本はできています。でも、あの子が日本チャンピオンになった後、私はナショナル・チームにいなかったから、ぜんぜん縁がなかったの。

(略)中国に行ったときも、『私はなんでこの子たちを教えてるんだろう?』と何度も思いました。あの子達も『なんで自分は日本のコーチに教えられることになったんだろう』と思ったでしょう。それはお互いにたまたまの『運命的な縁』があったからです。

 だから乾だけじゃなくて、今の日本の選手達と縁ができたんなら、その縁をあの子たちに、最後は『いい縁だった』と思って貰いたい。

 私が教えたことによって、その子が輝くとか、上達するとか、進化したと思って貰いたい。そして自分もそう思いたい。それだけなんですね。

 縁を大事にするって、お金より価値があるものだと思いません?」

 ***

 結果、見事、日本シンクロ界を立て直した井村氏。『シンクロの鬼と呼ばれて』では、乾らへのスパルタ指導、そして信頼関係を築くに至る道程も明かされる。

 

コーチ4年で井村雅代は中国の評価をどのように変えたか?

井村コーチが2004年に日本代表コーチを退任するまで、
オリンピックでは84年のロサンゼルス大会から2004年のアテネ大会まで6大会連続メダル獲得
という輝かしいコーチ歴を刻んでいた。
その後、数多い日本からのパッシングを受けながらも、
2006年からの中国チームのコーチとして、指導にあたった。

中国コーチ時代は2期に分かれます。
1期が2006年12月から北京オリンピック(2008年8月)終了後の2008年9月までの約1年8ヶ月、
2期が2010年9月から2012年のロンドンオリンピックを経て、
2013年5月にイギリス代表のコーチに就任までの2年8ヶ月です。

特に、1期では、中国チームのレベルが低く、選手たちの信頼もまだない状況で、
開催国として、北京オリンピックでメダルを取ることを目標に掲げた訳ですから、大変なプレッシャーがあったと思います。

加えて、日本国内からは、競合する中国チームを指導することに対する裏切り者との非難は
マスコミ、日本シンクロの首脳陣を含め、すさまじかったようです。

当時の中国のメディアにも、報酬が高すぎるのではないかとの記事が載っているほどでした。
しかし、就任からわずか3ヶ月の、2007年3月の世界水泳メルボルンでデュエット、チームそれぞれ、
4種目で4位とそれまで、6位か7位でしかなかったシンクロナイズドスイミングで、
大躍進を遂げさせ中国での彼女を見る眼が一変した

中国チームを強化するため、日本からトレーナーを呼び寄せ、
食事の改善の指導から始める、筋肉を増やして肉体改造、
インナーマッスルを鍛えるトレーニングを組み合わせることで、
そしてもちろんあの厳しいトレーニングで、劇的にチームを変えていった。

そして約束どおり、2008年8月 北京オリンピックで、
中国代表をチーム種目で銅メダルを獲得させた

第2期では、この基礎にさらに積み上げ、2012年 ロンドンオリンピック中国代表を、
デュエット種目銅メダル、チーム種目銀メダルという一段上の成果を挙げた。

この間日本チームは、北京のデュエットで銅メダルを獲得、
その後の世界選手権でもメダルに届かず、2012年の ロンドンオリンピックでは最高順位5位と、
とてもメダルどころではない状況までに陥ってしまった。

井村コーチの存在がどれほど大きかったか、非常にはっきりと事実が証明している。

これまでの彼女の歩みを見てみましょう。
2004年8月 アテネオリンピック後、日本代表コーチを退任する。
2006年12月 中国代表チームのヘッドコーチに就任する。
2007年3月に行われた世界水泳メルボルンで中国代表、デュエット種目、チーム種目それぞれ、4種目で4位となる。
2008年8月 北京オリンピック 中国代表、チーム種目銅メダル獲得する(日本デュエットで銅メダル)。
2008年9月 契約終了にともない中国代表チームの監督を退任する。
2010年9月 中国代表のヘッドコーチに復帰する。
2012年8月 ロンドンオリンピック 中国代表、デュエット種目銅メダル、チーム種目銀メダル(日本メダルなし)。
2013年5月 イギリス代表のコーチに就任する。
2014年2月 日本代表コーチに復帰する。
2015年8月 世界選手権カザン大会で、日本代表は7種目中4種目で、銅メダルを獲得する。

現地メディアから探った井村雅代コーチは中国の評価をどのように変えていったか?

彼女の、指導力の高さは定評のあるものでしたが、どのように中国に溶け込み、
一挙にレベルを上げたのか?その過程には、様々な困難があったと想像されます。
そこを中国のメディアの記事を手がかりに、さかのぼり調べてみましょう。

<2006年12月 中国代表チームのヘッドコーチに就任>
2006年12月29日 網易体育より
井村雅代はシンクロの母との評判で、1978年に日本チームを指導はじめてから全部で11のオリンピックのメダルをチームにもたらしたと
実績を強調しているものの、メルボルンの世界大会を経て、北京オリンピックまでの契約で、
年30万ドルは、高すぎるのではないかと、中国内のコーチの報酬と比較して述べている。

さらに、2006年秋に、中国チームは欧米にコーチを要請したが、
家族の問題などの理由で、断られ、56歳で独身の井村に決まったとも述べている。

丁度このとき、井村は日本シンクロ協会の部長の金子正子と対立しており、
毅然と日本水泳協会委員等を辞職して、中国に来たと内情も書いている。

即ちこの段階では、日本での今までの実績は認めるが、
果たして報酬に見合う成果を出してくれるのかという論調であった。

<2007年3月 世界水泳メルボルン大会>
2007年03月25日 深圳新闻网より
本当の井村雅代を知りたい!と中国記者が世界水泳メルボルン大会の合間に
20分の時間をもらってインタビューしました。

なぜ、日本での非難を受けても、中国に来たのか、中日友好のためか?
鬼コーチもしくは選手の目に母と映っているのか?独身か家族がいるのか?

コーチとして、1月以上がたった。中国メディアは本当の井村雅代を知ることができず、
ミステリアスな存在となっている。
中国人記者はここでも井村に罵声を浴びせる日本の記者がいたと書いている。
3,4カ国から、コーチの招聘があったが、北京オリンピックの主催国の中国のシンクロの素晴らしさを世界に示し、
それが日本のコーチ技術の素晴らしさを示すと考え、中国を選んだ。私は、中国のシンクロの歴史を作るために来た・・・・・・。

家族について、「夫、私とサブで幸せな家庭を作っている」実生活では、「シンクロの鉄の女」は優しい人のようである。
井村が中国に来たとき、メディアは独身だと報道した。
井村は微笑んで、「ほんとは、夫がいますが、子供はいない。
サブは犬のペットだが家族の一員です」と家族構成を紹介した。

井村の夫は井村と同様(井村も教員であった)高校の体育先生で、高校教員を務めている。
夫はいつも私を励ましてくれる。ときがくれば、中国に呼んで私の仕事ぶりを見てもらう」とにっこり微笑んだ。

珍しく家族のことを話しています。過去の日本のネットでは、独身かどうかが話題となり、
結局分からずじまいで、たぶんシンクロに一生をかけた独身だろうとなっています。

ここでは、中国人記者に気が緩んだのか、非常に具体的な話をしています。
でも、このような個人的なことはそっとしておきたいと思います。

2007年11月12日 北京日報より
井村は特別に日本からトレーナーを呼び寄せ、彼女の仕事のアシストさせた。
選手の筋肉を増強した。強化トレーニングの9ヵ月後、筋肉の形態に大きな変化が現れた。
「現在メンバーの腹、背などの筋肉の力量は大進歩を遂げ、動作を完成させるのに十分にまでになった。
これで、今後のトレーニングで非常に大きな進歩が望める」と井村は満足そうに述べた。

近年、中国シンクロの成績は猛烈に進歩しており、2006年12月ドーハのアジア大会では初めて優勝した
(このとき、井村はまだ、中国チームのコーチとして契約していなかったが、
12月の契約時期とこの日本のシンクロにとっての激震が重なったこともあり、バッシングとなったようだ)

以上のように、詳しくトレーニングの方法を紹介しているとともに、最近の大きな進歩を褒め称えており、
井村に対するマスコミの論調が世界水泳メルボルン大会で成果を挙げて以降一挙に信頼に変わったことがうかがわれます。

2008年04月19日  新華網より
「私は大変ハッピーだ」と日本のシンクロの母井村雅代が中国での一年余のコーチと生活をコメントした。
井村は、2016年末に、中国チームを北京オリンピックで、メダルを取らせるのを目的として契約した。
契約が、ドーハのアジア大会で、中国が始めて日本を破り二つの金メダルを取った時期と重なったため、
日本で、「謀反」「罪人」と罵声を浴びせかけられた。

「訓練するのに、国境はない」と井村は言う。中国チームは身体条件が良く、
シンクロへの情熱が井村の心を動かせた。
「井村は鬼コーチ」と言われているが、と記者がある選手に聞くと、
普段の生活ではとても穏やかだと笑って返事した。
中国生活を楽しんでいる井村だが、少なからず中国語も勉強している。
インタビューが終わったとき、ユーモラスに、「謝!謝!」と言った。
最後に、私は北京オリンピックでの結果を恐れないといった。

<2008年8月 北京オリンピック
2008年8月16日 体坛周报
中国チームは、以前と比べ筋力が増し、力強くなった。日本でのトレーニング法を持ち込み、
数十年日本や欧州から遅れているといわれていた中国のシンクロを世界レベルに引き上げたと井村のトレーニング法を絶賛している。

この後、日本への復帰も考えたようだが、
井村に対する反発が強かった日本のシンクロ協会は彼女を招聘することはなかった。
<2010年9月 中国代表のヘッドコーチに復帰>

以上が中国のコーチ生活で、最もポイントとなった1期目の振り返りである。
今考えると、最初の3ヶ月で、成果を出し、信頼を得たというのが大きな節目であった。
それにしても、指導者としての信念を国が変わっても貫き通し、
鬼コーチとしてスパルタトレーニングを課しながら、成果を挙げて、選手から慕われるというのは、並大抵ではない。

 

 

指導者というのはオリンピックでは重要です 選手らのモチベーションを高めながら厳しいことを言わなくてはならないし 対立もあるかもしれない 無理解もあるかもしれない中で 最終的にはメダルという結果ももたらす

 

一度中国に行ったときはなんで??となった日本中のファンがいたはず それは組織というものを考えたとき絶対権力を手中にした指導者というのは やはり日本水泳連盟との関係も 新しい組織を目指す上で衝突があったのではなかろうか 結局どの指導者がその組織や選手を受け持つかということは結果に大きな成果をもたらすことがわかったので 急転 呼び戻すことになったのであろう

 

日本からみれば裏切り者?と目に映った井村監督は そこまで深いことを考えていたわけではないだろう 自分のやるべきことをやる それが中国のシンクロにも うまくフィットした 自分の指導力を必要としている国があればどこへでもいって結果を出す これが井村コーチの生き様なのだろう どんな日本国内からのバッシングを受けても動じない かっこいいですよね 日本のためにやってるんじゃない自分の生き方を貫いているだけ こういうことなんでしょう なにか大きなものにくるまれて飼いならされたりするような人では メダリストを育てるという大きな仕事はできないのかもしれませんね